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雑記

雑多なもの記録

9月20日
昨日, 東北新幹線に乗っていた(件の車両ではなく, 運転再開後)のだけど,
途中で交代する乗務員が新幹線でこちらに向かっているが, その新幹線が
大幅に遅れているというアナウンスがあり, 乗務員が交代する駅で停車していた.
予定発車時刻数分前に交代した車掌のアナウンスがあり, 新幹線は予定していた
時刻通りに出発した.

こう書くと何事もなかったように見えるかもしれない. 実際, 何事も
なかったのだが, 交代した車掌のアナウンスがときどき途切れ,
「ハァッ, ハッ」
と肩で息をしていて, 下りのホームから上りのホームまで走って来てくれた
のがよくわかり, 感謝の気持ちが湧いてきた.
新幹線の定時運行の死守, ありがとうございますという気持ちでいっぱい
だったのだが, 発車前の新幹線への駆け込み乗車は不問にされるのか,
というのが目下の悩みの種である.



8月21日
新生代の世の漢字を用いたネーミングがよくわからなかったので, ネットで調べてみる.
ネット上にほぼ情報が無く, 結局, 何もわからず.
名前は所詮, どこかの誰かがつけたものだから気にする必要はないのかも知れないが,
漢字を使っている以上, その理由をある程度説明すべきではなかろうか.
英語をそのままカタカナ表記にしてもいいわけだし.
少なくとも, 英語, 中国語では名前の由来が書かれていることが多かった.

以下メモ.


完新世:
Holocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
The word Holocene was formed from two Ancient Greek words. Hólos (ὅλος) is the Greek word for "whole". "Cene" comes from the Greek word kainós (καινός), meaning "new". The concept is that this epoch is "entirely new". The suffix '-cene' is used for all the seven epochs of the Cenozoic Era.

中国語の表記は全新世.
全新世(Wikipedia(中文))より転載(文献番号などは省いた)
全新世的英文其名称源自希腊语“ὅλος”(holos,完全的)和“καινός”(kainos,新的),意即“完全新近的”。

「全く新しい(entirely new)」が語源であるから, 中国語の「全新世」の
表記が理屈にあっているように思う.


更新世:
Pleistocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
Charles Lyell introduced the term "Pleistocene" in 1839 to describe strata in Sicily that had at least 70% of their molluscan fauna still living today. This distinguished it from the older Pliocene Epoch, which Lyell had originally thought to be the youngest fossil rock layer. He constructed the name Pleistocene ('most new' or 'newest') from the Greek πλεῖστος (pleīstos) 'most' and καινός (kainós (Latinized as cænus) 'new'). This contrasts with the immediately preceding Pliocene ("newer", from πλείων (pleíōn, "more") and kainós) and the immediately subsequent Holocene ("wholly new" or "entirely new", from ὅλος (hólos, "whole") and kainós) epoch, which extends to the present time.

中国語も表記は同じ. 中国語のWikipediaにも名前の由来は記述されていない.

> かつて洪積世(こうせきせい、Diluvium)ともいい、

音を洪に合わせたのかも知れないが, 「更」の字を当てた理由は不明.


鮮新世:
Pliocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
Charles Lyell (later Sir Charles) gave the Pliocene its name in Principles of Geology (volume 3, 1833).

The word pliocene comes from the Greek words πλεῖον (pleion, "more") and καινός (kainos, "new" or "recent")[12] and means roughly "continuation of the recent", referring to the essentially modern marine mollusc fauna.

中国語の表記は上新世. 中国語のWikipediaに名前の由来は記述されていないが,
一つ前の中新世とのつながりは良い.


中新世:
Miocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
The Miocene was named by Scottish geologist Charles Lyell; the name comes from the Greek words μείων (meíōn, "less") and καινός (kainós, "new") and means "less recent" because it has 18% fewer modern marine invertebrates than the Pliocene has. The Miocene is preceded by the Oligocene and is followed by the Pliocene.

中国語の表記も中新世.
中新世(Wikipedia(中文))より転載(文献番号などは省いた)
中新世是由查理斯·萊爾所命名的。這個名稱來自希臘語μείων(meiōn,意為“較少”)和καινός(kainos,意為“新”或者“現在”)意思是“略新”,即“距離現在還早”、或者“略少于現代”,因為這時的現代無脊椎動物比上新世少18%。


漸新世:
Oligocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
The name Oligocene was coined in 1854 by the German paleontologist Heinrich Ernst Beyrich from his studies of marine beds in Belgium and Germany. The name comes from Ancient Greek ὀλίγος (olígos) 'few' and καινός (kainós) 'new', and refers to the sparsity of extant forms of molluscs.

中国語の表記も漸新世.
漸新世(Wikipedia(中文))より転載(文献番号などは省いた)
渐新世(Oligocene)之名来自希腊文字ὀλίγος(oligos,“少”之意)和καινός(kainos,“新”之意),即表示在始新世喷發式的进化之后,这个时期哺乳动物种类增加并不明显。


始新世:
Eocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
The name Eocene comes from the Ancient Greek Ἠώς (Ēṓs, "Dawn") and καινός (kainós, "new") and refers to the "dawn" of modern ('new') fauna that appeared during the epoch.

中国語の表記も始新世.
始新世(Wikipedia(中文))より転載(文献番号などは省いた)
始新世(Eocene)之名,字源來自希臘文eos(開端)和ceno (新),指的是現代哺乳動物群出現的開始。

ギリシア語のĒṓs(Dawn)が由来なのであれば, こちらの方が暁新世の名に
ふさわしいと思うのだが...


暁新世:
Paleocene(Wikipedia)より転載(文献番号などは省いた)
The name is a combination of the Ancient Greek παλαιός palaiós meaning "old" and the Eocene Epoch (which succeeds the Paleocene), translating to "the old part of the Eocene".

中国語の表記は古新世.
古新世(Wikipedia(中文))より転載(文献番号などは省いた)
古新世來自希臘文的“παλαιός”(palaios,古)與“καινός”(kainos,新)。

中国語表記はおおよそ語源に忠実.
自分の専門外のことでこういうことを言うのは良くないことだけど,
完新世とか鮮新世とか,
「ちょっと何言っているか分からない」
状態です.
業界の人の解説記事が検索の上位に来ることを期待しています.



8月9日
スピンコヒーレント状態のところで出てくる公式,

$e^{zJ_+ - z^*J_-} = e^{\omega_+J_+}e^{\ln x_z\, J_z}e^{\omega_-J_-}$

角運動量の大きさが1/2の場合については計算がされているものを
見つけられたのだけど, 一般の角運動量の場合についての計算が
見当たらなかったので, 少し計算してみた.
(faithful representationだから, 必要ないというのは承知の上)
詰将棋の煙詰のようで楽しい.
夏休み, 暇を持て余している人はぜひどうぞ.



7月10日
日野が舞台になっているのが某所で話題になっているようなので, 思い出の場所のリンクです.

高幡台団地 73号棟

解体されて, もう10年近くになるのですね。



6月29日
ここ最近「マクスウェルの悪魔」に関する話題を目にする機会が何度かあった.
話の本質ではないのだけれど, どの著者も気にしているように思ったのは,
「悪魔」の訳だ.

Wikipediaによれば, 「悪魔」の命名者はマクスウェル本人ではなく,
ケルビン卿とのこと. 「悪魔」と聞いて具体的にどんなものを思い浮か
べるかは人によるのであろうが, 著者の立場にある人が危惧するのは,
悪魔に何らかのキャラクター性を持たせて考えて欲しくないということ
だろう. この事情は英語圏でも同じなようで, Wikipediaの思考実験に
おける悪魔の項で,

  The word "demon" here does not necessarily connotate a demon,
  a malevolent being.
  ...
  supernatural beings as unseen forces of nature.

とある. 「悪魔」と聞いて思い浮かべてしまうキャラクター性を削ぐには
どうしたらいいだろうかと考えて, 最初に思い浮かべたのは「喪黒福造
への置き換えだ. 藤子不二雄Ⓐ氏のブラックユーモアが織り交ぜられている
のは置いておいて, 喪黒福造の悪意なり善意なりは作中では語られていない
(多分)ことから「悪魔」の置き換えになるかなぁと思ったが, 令和にも
なって喪黒福造はないだろうという結論に達した.

では「マクスウェルのAI」ではどうだろうか. キャラクター性を排する
ことに成功しているし, 実際AIを使って部屋のドアの開け閉めでできそうだ.
(AIの仕事の見積もりが難しそうだが)
情報系へのアピールもできている点でいい置き換えかもしれないが, 「悪魔」
「デモン」などに比べるとなんとなく味わいに欠ける.

いい置き換えが見つからないなぁ, 「喪黒福造」もイマイチだよなぁ.
と考えているところで, 「セールスマン」への置き換えを思いついた.
「マクスウェルのせぇるすまん」
いいじゃないか. この場合, セールスマンは勤勉実直な黒縁メガネが
似合いそうだ. 彼/彼女は命じられたまま, 命令を疑うことなく,
エネルギーの高い粒子と低い粒子を瞬時かつ精確に判別し, ドアの開け
閉めを真面目に実行する. この置き換えは「マクスウェルの悪魔」に
関する記述で, 私のもう一つ感じていたこと, 「容器中の物体は理想
気体などの微視的な粒子に限る必要はない」という点も解消する.
状況設定はいろいろあり得るが, 十分に大きな容器を真空にし, 反発係数
が1と見なせる物体を入れて, 巨視的な熱力学的状態をつくり, 内部を
映したモニターを見ているセールスマンが仕事をすればいい.
この場合も, 実際に実証実験をしようと思うと, セールスマンによる粒子
の判別の仕事量の見積もりが難しそうだが, それは生物や脳科学など
の人たちに考えてもらうことにしよう.

どうでもいいことに時間をかけた.
喪黒氏に「ドーン!!」と言われそうだ. この辺でやめにしよう.



4月24日
まねをされて健康被害が出ても困るから書かないほうがいいのだけど,
おもしろい発見をして, だまっているのも腹ふくるるわざなれば,
まねをしないように念押しをした上で書いてみようと思う.



(下の話は「お話」です. まねをしないでください)



おもしろい発見というのは, 引き出しの奥から昔むかしその昔, 川に大きな
桃がどんぶらこと流れていたころに買った「たらこパスタ」のソースを発見
したところから始まります.

健康被害と食い意地を天秤にかけて食い意地がまさった結果, 年代物の魚卵
パスタソースを稲庭風うどんにかけて食したのですが, 和風パスタもとい
和風うどんと思って口に運んだものが口の中で急に``Io sono la bottarga.
(私はボッタルガですよ)''と主張し, かなり麺食らったという話.

ネットで検索してみると, タラコがおよそ1gあたり4円なのに対し, カラスミ
は1gあたり40円なので, 引き出しのなかで熟成された結果, およそ10倍の
価値がついたことになります.

これはタラコをカラスミに変える錬金術を発見してしまったのでは, と思い
ネットで検索してみると, 小泉武夫さんがタラコで作るカラスミのレシピを
紹介されているので, そちらが正解かも知れない(完成にひと月程度かかる).

少しだけまじめな話をすると, 長期の塩・糠漬けでフグの卵巣が無毒化する
ように, タラコがカラスミに変わる機序がわかれば一儲けした上にイグノー
ベル賞をもらえるかもね.



3月23日
先日, 航空会社のオーバーブッキングで飛行機の出発が遅れる
トラブルに遭った. 航空会社は補償金を提示して, 遅れて到着
する便への変更を受け入れてくれる客を募り, 結果, 便の変更
に応じてくれた人がいたわけだが, その乗客の預け荷物を取り
出す作業にそれなりの時間がかかり, 飛行機の出発が遅くなった.

その時は困ったなぁぐらいに思っていたのだが, 後になって
考えてみると, 便を変えても目的地は同じなので, 乗客の預け
荷物を取り出すことをせず, 便を変えた乗客には目的地で荷物を
受け取ってもらえればよかったのではと思ったのだが,

パンアメリカン航空830便爆破事件
パンアメリカン航空103便爆破事件
Checked baggage

などによると「旅客と荷物の一致」という原則があるらしい.
米国の国内線では適用されないとのことだが, 日本の国内線では
守られているということなのだろう. ちょっとした変なことでも
その理由を調べてみるといろいろと出てくるものだ.



3月1日
新属新種の光合成をやめた植物を発表されたとのこと.

Kenji Suetsugu, Yasunori Nakamura, Takafumi Nakano and Shuichiro Tagane:
"Relictithismia kimotsukiensis, a new genus and species of Thismiaceae from
southern Japan with discussions on its phylogenetic relationship",
J Plant Res (2024). https://doi.org/10.1007/s10265-024-01532-5 (Open Access)

X: https://twitter.com/tugutuguk/status/1763325353827958793
togetter: https://togetter.com/li/2324087

最近,「新種発見!」タケシマヤツシロラン発見のエピソードを読んだばかり
だけど, もう一回読み返してみようと思う.



2月29日
有用か無駄かの議論がまた熱くなっているようだ.

立場や前提条件が人によって様々なので, 結論も人それぞれなの
だろうとお茶を濁してみる.

物理では下記のような有名な逸話がある.

 Faraday went on to invent a rudimentary generator in 1831 and as the story is usually told, the prime
 minister or some other senior politician was given a demonstration of induction by Faraday. When asked,
 "What good is it?" Faraday replied: "What good is a newborn baby?" Fifty years passed before electric
 power really took off as envisioned by Faraday.

Self-taught scientist who became father of electricity(wondersofphysics.com)より引用

ファラデーほどの科学者であれば上のような逸話も説得力があるが,
並の研究者では, 「鼻紙にもならない論文を書きやがって」と罵られる
のが落ちである(ほとんどの論文が電子化された今日では, ほんとうに
鼻紙にもならなくなった)

そんな逸話を思い出しながら, 何が有用で何が無駄な教育なのだろうかと
考えてみると, 誰だって人はどのみち死ぬのだから, 教養と言われる
ような内容はすべて無駄, なんだったら生きていることさえ無駄と言える
ような気がしてきた.

人類のいない地球や宇宙はそれはそれで平和な世界と言えなくもないような
気もするが, シミュレーション仮説(別に信じているわけではない)の立場で
考えると, 人類のいない世界はプレイヤーのいないオープンワールドのよう
なもので, それはそれで無駄ということになる.

そんなふうに無駄について考えてみると, 「すべてのものは無駄」の肯定から
『「すべてのものは無駄」は無駄』となって, 我々は「無駄があってこそ」の
世界にいるのではないかという気もしてくる.

無駄が世界を支えているという考えは以前にも聞いたことがあるような気がして,
調べてみると,

 惠子謂莊子曰:「子言无用。」
   莊子曰:「知无用而始可與言用矣。夫地非不廣且大也,人之所用容足耳。然則廁足而墊之致黃泉,人尚有用乎?」
   惠子曰:「无用。」
   莊子曰:「然則无用之為用也亦明矣。」

荘子(外物篇)

いまこの時点で立っている場所以外の地面はすべて無駄だが, 無駄な地面を
すべて取り除いてしまったなら, 人は歩くことすらできなくなる. と, 遥か
昔に荘子が言っていたようだ. (マインクラフトをプレイしている荘子の横で
あーでもないこーでもないと言う恵子を「お前ちょっとうるさいよ」と荘子が
窘めているようにも聞こえる)
こんな知識のひけらかしは無駄でしかないが, もし私が漢文の授業を受けることが
なければ, こんな駄文を披露することもなく, そういった駄文の存在を無駄な
ものとして否定し続けていけば, 駄文もろともすべての文章がこの世界から消え
失せることになるのではないだろうか.

「お前の駄文が一番無駄」と漢文不必要論者を無駄に勢いづけてしまいそうなので,
この辺でやめておくことにする.



雑記(2023年)