雑記2015
雑多なものの記録
12月31日
水木しげるさんのラバウル戦記, 敗走記, 総員玉砕せよ!を読む.
一足先に家に届いた「うんこがへんないきもの」に水木しげるさんの
ラバウルでのエピソードが載っていたのだけど, 「総員玉砕せよ!」では
少し違う話になっている.
戦後70年の節目の年の最後の締めくくりに
巡らすのもまた良いのだろう.
12月29日
高校の同級生(後輩含む)と忘年会.
高校を卒業してから成長したかという質問をされて, たいして
成長していないと答えた. 卒業から何年も経っているから, 変わった
ところはたくさんあるだろうけど, 本質的に何か変わったか?と
いうと, 何も変わっていない, というのが真実だろう.
(滝沢昇のように背中に数字が現れれば一目瞭然なのだけど。。。)
Y氏から博士課程進学に迷っている学生の話も聞いた.
私がどうして博士課程進学を決めたかについても聞かれたが, 急な
質問だったので, 思いつくままに答えることしかできなかった.
しかし, 今思い返してもそれほど間違ったことは言ってなかった
ようには思う.
要点は2つで, 1つは根拠のない自信. 博士課程を終えるまでに, 1つ
ぐらいは自分の作品と言えるぐらいの成果は残せると考えていた.
もう一つは, 進路選択の責任は自分で取る覚悟ができていたこと.
博士号が取れることには何の疑いも持っていなかったが, その後の
進路は無職やアルバイト従業員も有り得ると考えていた. こういうこと
を言うと, 勘違いされる人が少なからずいるのだけど, 無職やアルバイト
になるリスクを冒してまで進学を選んだというのではなくて, 無職や
アルバイトになることを想定して進学したというのがたぶん正しい.
最近, 夢や希望で研究者を目指す人のことを何人か見聞きしているのだけど,
研究者というのは夢や希望でなるものではなくて, 現実の専門職の一つとして
捉えるほうが正しい. 夢や希望も大切なのだけど, 現実を見据えて状況を
分析し, 夢を実現させる具体的な展望が無いと, 夢は寝言とたいして変わら
ない, ということがわかっていない人が最近多いような気がしている.
専門職に着くには運も必要なのだけど, 運を掴む確立された方法は無いと思う.
ただ, 消極的な人よりも積極的な人の方がついている, と言える気はしている.
掃除をサボることばかり考えている人よりは, 汚い場所を見つけたら進んで
掃除する人の方がツキがいいように思う.
ちなみにY氏の話に出てきた学生さんは非常によくできる人のようなので,
覚悟さえ決まれば進学の道を選んで欲しいように思う.
12月24日
帰りの電車で前田公輝さんに似ている人を見かける.
以前, 街でS先生を見かけて, そっくりだなあ, 思っていたら本人だった
ことがあるので, 今回も前田さん本人だった可能性はある.
12月12日
浦和駅の西口で交通規制が敷かれ, 屋台がたくさん出ていたので,
何だろうと思ったら, 十二日まち(じゅうにんちまち), というお祭り
とのこと.
12月11日
レンツの法則をどうやって導き出すか.
初学者向けになるべくやさしく, しかし, 嘘をつかずに説明するのは
なかなか難しい. 注意深く書かれた本はうまく逃げを打っているけど,
真正面から説明する方法は無いものだろうか.
磁力線が脇から逃げたり, 積分経路が時間変化したりで, どうしても
とっちらかってしまう. (1)静電磁場で変動積分経路, (2)変動電磁場で
固定積分経路, (3)変動電磁場で変動積分経路, の順序が一番素直かな.
しかし, そんな時間も無いし, 聞いている方も忍耐力が持たないだろうから,
適当にどこかを端折って説明するしかないんだけど...
12月10日
昨日, 横浜の大桟橋に見かけた船は飛鳥IIだったらしい.
そうと知っていれば, 近くに寄って, もっとよく見たのになあ.
次の寄港地はラバウル.
先日亡くなった水木しげるさんがラバウル戦記で描いた場所だ.
今は, ちくま文庫から出ているようだから, 買って読んでみても
いいかも知れない.
11月25日
共用部(廊下とか玄関)に黄色い蛍光灯を使っているアパートや団地がある.
変わっているなと思っていたけど, そういう蛍光灯が売られているという
ことは何かしらの意味があるのかな, と思って調べてみた.
黄色い蛍光灯は, 黄色蛍光灯, 防蛾灯, 低誘虫性蛍光灯などといい,
要は虫に見える波長の光を抑えて, 虫をあまり寄せつけないという
用途で使われているらしい. LED照明でも効果があるらしく, また
黄色いLED電球も出ているようだ.
見た目はアレゲだけど, ちゃんと意味があることが確認できて, 少し安心した.
11月21日
用水路沿いを自転車で走っていると「高沼用水」と書かれているのを見る.
ここは, 見沼代用水西縁だと思っていたのだが, 何だろうと思って調べて
みると, 高沼用水路の取水口のようだ. 「たかぬま用水」と読んでいたが,
「こうぬま用水」と読むのが正しい. そばを流れる鴻沼川と読みが同じなのは
偶然の一致だろうか. これまた調べてみると, Wikipediaの鴻沼のページに
> 高沼(こうぬま・たかぬま)とも呼ばれている。
とある. 農民には「鴻」の字が難しく, 「高」の字に変えたという記載も
あるが, どうだろう. 江戸時代に書かれた物を読むと, 当て字を使うことは
よくあるので, 字が難しかったというよりは, 単に当て字が定着しただけの
ような気がしないでもない.
鴻沼川に関する記述を読んでいると, 鹿手袋を流れていることを知る. 以前,
散歩で通った場所で, 珍しい地名なので覚えていた. 「鹿手袋」と書いて
「しかてぶくろ」と読むが, もともとは「しってぶくろ」と呼ばれていた.
「袋」は水の溜まりやすい窪地につく地名で, その前に接頭辞のように付いて
いる「しって」に興味が湧いた.
かつて南武線沿線に住んでいたので, 南武線の尻手との関連があるのでは
ないかと思ったのである. ネットで調べてみても納得のいく説明がなかった
ので, 地図で双方の位置関係について調べてみた. すると, 双方とも近くを
流れる川の尻手(しりて)にあることがわかった. 川の「しりて」というのは,
一般的な言葉ではなく, いま私が勝手に作った単語で, 川が蛇行するカーブ
をお尻に見立て, そのお尻側という意味である. 富永一朗先生が描くような
お尻をイメージしていただけると分かりやすいかもしれない. 川が蛇行する
位置はしばしば変化するので, もしかすると, 上の考察はただの妄想かも
しれない. 地名がつけられた頃からの川の流れの変化を含めて検証する必要が
ある. ただ, 下妻市にも尻手という場所があるというので, こちらの方も
地図で調べてみると, 確かに「尻手」に位置していることが確認できた.
また下妻市の尻手の少し下流には川尻という場所も存在して, そこは尻手の
次の「尻手」に位置している.
というわけで, 何の気なしに調べてみた「尻手」という言葉だが, どうも
「川の尻側の土地」という意味がありそうだ. 「お腹の急降下」が発生した
ときには, 「浴びる」可能性がある訳で, なかなかに注意を要する地名である.
安易な気持ちで変えてはいけない残すべき土地の名の一つなのだろう.
11月11日
宇都宮線が止まっていたので, 七里経由で大学に来る. 大学に来る
途中, 民家の庭で5mほどの背の高い草が綺麗な花を咲かせているの
を見る. 皇帝ダリアというらしい.
背の高い草といえば, 自転車で大学に来るとき, 4mほどの背の高い
ススキのような草を見かけるが, あれは, パンパスグラスと言うら
しい.
異様とも言える背の高さは何に起因しているのだろうか. 陽光を得る
ためか, それとも虫媒, 風媒の都合だろうか. 植物園で各地の草花を
見ることはできるけど, 個々の植物に着目するのでなく, 植物群として
各地の草むらを再現してみると, 意外と土地々々の風物を見ることが
可能となるのかも知れない.
11月7日
今日, 土呂駅の線路脇でチンドン屋さんが先導するハロウィン仮装パレードを見た.
「ハロウィンというものはそもそも…」と, 人に説教したい人にはいろいろと
てんこ盛りなパレードだったが,
「ハロウィンが『祭』として日本に浸透してきたな」
と私には感じられた. パレードの真ん中に神輿を置いて, 子供達に黒とパンプキン
オレンジの法被を着せれば, 祭り以外の何者でもないように思える. 神輿を担ぐ
場合, 神輿を担ぐことのできるある程度上の学年の小学生あるいは中学生が必要だが,
それぐらいになってくると, 地域のお祭りに参加するのは少し恥ずかしさを感じる
年齢になってきて, 参加者の集まりが悪くなってくる. そこへ来ると, ハロウィンは,
仮装して歩くだけなので, 未就学児でも参加が可能で, お菓子だってもらえる.
"trick"の方が話題になることは今のところ少ないようだが, 婿投げ・墨塗りや,
パーントゥのような祭りと混ざって, ハロウィンを地域の奇祭として町おこしをする
自治体もそのうち出て来るだろう. そう考えると, なまはげの
「悪い子はいねがー」
というのは, "Trick or Treat"の転化のような気もしてくる. キリストの墓が
青森にあるように, ジャックの墓もこれから秋田で発見されるかも知れない.
10月15日
武井壮協会
「百獣の王」の協会に用はないのだが, 多形相境界(Morphotropic Phase Boundary)
と出力すべくタイプすると, 「武井壮協会」とライブ変換してくれるEl Capitanなのであった.
10月7日
昨日のノーベル物理学賞の発表で会見がなかなか始まらなかったのを茶化して,
「会見担当者がきっと, ニュートリノとニュートロンの区別の勉強に一生懸命だったんだよ」
なんて軽口を叩いていたんだけど, 最初, ニュートリノはニュートロンと呼ばれていたとのこと.
ニュートリノって何?
上の記事を読んでもニュートリノのが何なのかよくわからなかった(そもそも基本粒子が
どうやって「基本」となるのか理解していない)けど, ニュートリノの接尾辞「イノ」が
イタリア語で小さいという意味からきていることはわかった.
Bambinoは確かに小さい.
Peperoncinoは小さいピーマン(peperone-cino)という意味らしい.
じゃあ, Frappuccinoは?
Frappuccino grandeなんてナンセンスなんじゃないの?
と思ったら, Frappuccinoはfrappéとcappuccinoを組み合わせた商品名とのこと.
それでは, cappuccinoは小さいか?
疑問は尽きないが, これくらいでやめておこう.
10月2日
電車が止まっていることで, 踏切の遮断棒が折られ, 電車がまた遅れる
という構内アナウンスを聞いてCtrl-C(SIGINT)を押したくなった.
これはデッドロックなのでデバッグが必要だろう. すぐにバグを取るのが
難しいというなら, せめて例外処理は入れておきたい.
鉄道とプログラミングは相性がいいはずなんだけど。。。
9月29日
野々村さんとの共著論文その2
Y. Nonomura and Y. Tomita,
"Critical nonequilibrium relaxation in the Swendsen-Wang
algorithm in the BKT and weak first-order phase transitions",
arXiv:1509.08352
Kosterlitz-Thouless転移と1次転移を見せる系に対して,
クラスターフリップを行ったときのダイナミクスに関する草稿です.
頭の中で話は見えているつもりなのだけど, 詰めができていない
ので, その辺の話(どの辺?って思われるかと思いますが...)には
触れていません.
◯年老い易く学成り難し...か. (その2)
9月26日
preprintサーバに草稿をアップしたら, とある人からさっそく
コメントをいただいた. メールに記されていたweb pageを見に
いくと, なかなか渋い仕事を実直にされている方であった. そういう
同業者の目に自分の研究が目に止まったというのは素直にうれしい.
Y. Tomita,
"Relaxational processes in the one-dimensional Ising model
with long-range interactions",
arXiv:1509.07227
多くの人から「もっとrealisicな模型をやろうよ」と言われていた
のですが, 敢えて逆方向を選択しました. 分からないことをそのままにして,
その先に進むことは自分には気持ちの悪いことだから.
この草稿で分からなかったことが分かったかというと, 依然としてまだ分からない
ことが多いのだけど, 何が分かっていないのか, 何が分からなくてはならないのか,
ということはある程度分かった.
問題点がはっきりしたので, とりあえず次のステップに進むつもり.
とりこぼした問題はたくさん残っているのだけど, 時間があるとき
(たぶんそんな時間はない)や, 新しい着想が降りてくるのを待って
取り組もうと思う.
野々村さんとの共著の草稿もpreprintサーバにアップした.
Y. Nonomura and Y. Tomita,
"Nonequilibrium behaviors of 3D Heisenberg model in
Swendsen-Wang algorithm",
arXiv:1508.05218
クラスター更新のダイナミクスに関する論文. Ising模型の方は野々村さんの
単著ですでに出ている. 今回は3D Heisenberg模型の話.
これも分からないことがまだ多く, やることがたくさん残っている.
◯年老い易く学成り難し...か.
9月25日
先日, 六義園を一通りまわって外へ出ると, 東洋文庫ミュージアムへの案内板が
目についた. うかつに寄って散財するのが怖かったので, ミュージアムへは行か
なかったのだが, 東洋文庫ちがいだったということに今日気が付いた.
東洋文庫
東洋文庫
上の方は公益財団法人東洋文庫で下の方は平凡社が刊行する叢書シリーズ.
恥ずかしながら, 東洋文庫ミュージアムで東洋文庫が購入できるものと勘違い
していた. Wikipediaの記述を読むと, 東洋文庫(叢書)は
限定された需要ゆえ、長らく絶版となっていた書目が多数あったが、
2003年よりワイド版が、オンデマンド形式により順次刊行されている。
また電子書籍という形態でeBookJapanからダウンロード販売されている。
とのこと. 個人的には, 東洋文庫は外箱と装幀を含めての東洋文庫なのだが,
絶版よりは電子書籍で手に入る方がうれしい. 物理学の専門書の多くは$\LaTeX$で
書かれているだろうから, 上手に仕組みを作れば, 今後, 業界によっては,
絶版というものはなくなるのかもしれない.
9月15日
大阪出張から帰る大阪駅での話。
「え〜っと、塚◯農場じゃなくて、山◯農場でもなくて、
なんだっけ。。。。。。。。。。。。。。。。
あっ、思い出した、日本農園」
という会話が聞くともなし耳に入ってきた.
ふざけた名前の居酒屋だけど, 聞き覚えがなくも無い.
なんだっけ。。。。。。。。。。。。。。。。
『愚者の楽園』と気づいたのは新幹線に乗り込み, 車中で読む
本を出したときだった. たぶん「本」つながりで思い出したの
だと思う. 人間の記憶って不思議.
9月11日
通勤途中にある東大宮のポンプ場がここのところ連日で働いているようだ.
公園の片隅にあることもあり, 普段その存在を気にすることはなかったが,
今は車両通行止めまでして働いていて, いやでも目に止まる存在と化して
いる.
東大宮のポンプ場は, 元湿地だった場所の端の高台(といってもそれほど高くない)
に位置している. 元湿地の低地エリアはいまでもマンホールから水を吹いている
ので, このポンプ場は低地エリアから流れ来る雨水を汲み上げて, 他所の場所へ
送っているのだろう.
汲み上げた雨水をどこに送っているかは分からないが, 見沼区の下水は戸田市に
ある荒川水循環センターに送られるので, おそらく雨水も一緒に送られている
のではないかと思う. 各ポンプ場の配置と地形の勾配を重ね合わせて見れば, 水の
流れと人間の意思のせめぎ合いが見られるのではないかと思って少し調べてみた.
調べてみると, 東大宮には「芝川幹線」が走っていて, その終端が荒川水循環
センターとなっている. 芝川幹線沿いにポンプ場をたどって行くと,
東大宮ポンプ場 ⇒ 大和田ポンプ場 ⇒ 公園ポンプ場
⇒ 南中丸ポンプ場 ⇒ 堀の内ポンプ場 ⇒ 東新井ポンプ場
⇒ 藤右衛門ポンプ場 ⇒ 沼影ポンプ場
で荒川水循環センターへと達する. 東大宮から東新井までは芝川沿いだが, 芝川の東,
南中丸と東新井は大和田駅の南から芝川へ注ぐ川が削った低地にあり, 芝川との直接
の関係は無さそうである.
東新井から藤右衛門までは少し距離があるのは大宮台地の上にポンプ場が無いから.
南中丸と東新井同様, 台地の上に川が削った低地は存在するが, 駒場運動公園から
駒場競馬場, さらに藤右衛門へと, 水の流れが良いのかもしれない. 藤右衛門には
藤右衛門川と藤右衛門川放水路がある. 沼影は大宮台地の南端の崖下に位置し, その
北には別所沼と白幡沼がある. つまり, 沼影は大宮台地から下って流れる水の受け口
となっているように見える.
(太田窪の水はけが悪いという情報を見つけた. 地名的にも, 地形的にもそうだろう
と思う. 浦和区内のポンプ場の情報がすっぽり抜けているのも気にかかる)
ポンプ場をならべて見ても「せめぎ合い」と言えるようなものは見えなかったが,
ポンプ場がある場所の周辺は, いずれも雨水が溜まる場所のように見えたから,
「必要な場所にポンプ場がある」と言っても, それほど間違いでは無いようだ.
9月10日
名前の知られている河川での堤防の決壊なんていうものは, もう
関東では起こらないものと思っていた. (神田川・善福寺川など
がしばしば氾濫していたじゃないか, と言われるかも知れないが,
堤防決壊とは違うような気がする. 堤防ではなく地下調節池で
頑張っているわけだし...) 秋雨続きからの雨台風, というのも
意外, というか考えてもいなかった. おそらく今回の台風も, 単発
であれば災害につながるようなことはなかったのではないだろうか.
災害が起きた後に原因を後付けることは簡単だけど, 災害が発生する
前に原因をみつけることは難しいということを今回の件で思い知る.
今日は通勤途中の東大宮駅と大学との間で, マンホールから水が30cm
ぐらい吹き上げていたのを見たので, 改めてこの辺の地形について
調べてみた. 昔の地図を見ると, この辺は昔農地だったことがわかる.
主だった水の流れ(見沼代用水)は, 大学の北端で分岐(丸ヶ崎という
地名は水路の分岐する形状を指しているように思う. Wikipediaにも
そのような記述がある)して, 大学の東西を沿って南に向かっている.
大学の南の島町や風渡野の辺りが付近より低地になっているのは,
たぶんそのような歴史的事情によっているのだと思う.
それで, 大学の西の辺りは, そのような水の流れは一見無いように
見えるのだけど, よくよく地図を見ると, 丸ヶ崎で分岐した細い水路が,
今の大学守衛所の辺りで西に向かって蛇の舌のように先割れした湿地を
成しているのが見てとれる. 埋め立てをしているとは言え, 昔の湿地帯
なので, 周辺にくらべて低く, 水も流れ込み易いのだろう. (ちなみに埋め
立てをしたのは戦後すぐのようだ. 今のような技術はなかっただろうから,
住宅地の下は単に湿地を埋めただけの可能性が高い)
昔からあったのかどうかは分からないが, 元湿地であった場所の端に
氷川神社があるのも偶然では無いように思われる.
8月28日
「コサイン教えて何になる」
女性の高校教育の文脈で出てきた発言らしいですが, コサインを
知らないとシュレディンガー音頭の意味がわからなくなります.
シュレディンガー音頭
というのは冗談として, 「教えて何になる」という話は昔から
あって, 昔の偉い人が寓話にしたぐらい.
恵子謂荘子曰、子言無用。
荘子曰、知無用而始可与言用矣。夫地非不広且大也、人之所用容足耳。然則廁足而墊之致黄泉、人尚有用乎。
恵子曰、無用。
荘子曰、然則無用之為用也亦明矣。
(『荘子』外物篇)
恵子、荘子に謂いて曰く、「子の言、用なし」
荘子曰く、「無用を知りて始めて与に用を言うべし。それ地は広くかつ大ならざるに非ざるも、
人の用う所は足を容るるのみ。然らば則ち足を廁ててこれを墊りて黄泉に到らば、
人なお用うるありや」
恵子曰く、「用うるなし」
荘子曰く、「然らば則ち無用の用たるやまた明らかなり」
Googleブックスから, 守屋洋「中国の智恵、聖賢の智恵」から引用
これは極端な話だけど, 「教えて何になる」を突き詰めていけば, こういう話
なんだろうと思う.
高校時代, クイズ研の先輩で
「数学とは所詮パズルだ」
と曰う方がいた. 個人的には「数学」を「高校数学」に置き替えたいが,
高校生にとっての数学は高校数学なので, この発言は高校生的には正しい.
先輩の発言は, 大学受験に対する態度「大きく身構える必要はない」と
いった話だったと記憶しているが, いま思い返してみても, この発言の
正当性は失われていないように思う. Wikipediaのパズルの頁を見れば,
論理学的には、複数解が矛盾してしまう「ジレンマ」、
論理的に解けそうでいて不思議と解答が見つからない「パラドックス」に対して、
唯一解が出せるものを「パズル」と定義することができる。
「高校数学」と「数学」を区別したい気持ちはここにある. つまり,
高校数学とは唯一解が用意された「おもちゃ」であって, 本当の
数学ではない. そして, この世の中にあるパズルあるいはおもちゃは,
この世の中に本当に必要なものなんだろうかと人に問うてみたい.
冒頭の炎上の当事者の精神に従えば, 答えは「そんなもん、いらねー」である.
必要なものだけで構成された世界のなんと素晴らしいことか!!
(これを反語表現というが, これも「教えて何になる」内容ではある)
しかし, 少し落ち着いて考えてみれば, この世のできごとのほとんどは
「パズル」であるように見える. 必ずしも唯一解が用意されているとは
限らないが, (というより大抵の場合, 解は無数にあるのだが)何らかの
ルール(それは法律だったり, 学則や社則, 物理法則には逆らえないし,
言語だって文法の縛りだけでなく互いの了解を得るためのルールがある)
のもと, より良い解を探し, より良く生きるために日々暮らしている
のではないだろうか.
将棋や囲碁などのゲーム, 野球やサッカーなどのスポーツは, 言ってみれば,
劇中劇のようなものだ. 日常の世界はあまりにも煩雑で, 解が多いから,
ちょっと束縛条件を増やして, 小さな世界(それは盤上だったり, サッカーの
フィールドだったりする. さて, どちらの方が広いだろうか...)で唯一解の
探索をして楽しんでいる(そう言うとプロの人はムッとするかも知れない)のである.
荘子のたとえ話に戻れば, パズルやおもちゃといったものは無用の用と言える
かも知れない. パズルやおもちゃによる「小さな世界」を通して, 人は最初に
世界を見るのではないだろうか. 知る必要のない事柄を一切排除して, 知るべき
ことを知ることは可能だろうか. 足下の地面を必要な事柄だとすれば, それを
支えるのはいま不必要とされている広大な大地であるように思われるのである.
8月21日
「船に積んだ水は腐らない」という怪しげな情報をいただいたので,
ちょっと調べてみた. 調べてみてすぐに思い知らされたのは, 日本人の
飲料水に対する関心の高さ. 意識高い系って, こういうことだろうか.
間違った方向への関心が高いようなので, とりあえず, (私が考える)
ちゃんとした方へのリンクを貼っておこう.
「水商売ウォッチング」とは?
「船に積んだ水」に関するいくつかのサイトがあったけど, 疑問に簡潔に
答えてくれていたのはこのサイト.
Christopher Columbus' Santa María (The Mariners' Museum)
「水は足が早いからまずワインを飲み, どうしようもなくなったとき水を飲んだ」
といったこと書いてある. 昔の船乗りが酒を飲むイメージそのままである.
ただ, アルコール飲んで水分摂取になっているのだろうか.
ビールを飲んでも水分補給にならないことが言われて久しい.
Grog (Wikipedia)
ここのOrigin and historyを読むと, 船乗りたちがアルコール飲料で
水分を補給していたのはほぼ間違いないようだけど, 船乗りは特別という
ことだろうか. 真剣に考えるには手持ちの情報が少なすぎるので, また
今度考えることにしよう.
とりあえず「船に積んだ水は腐る」ということは確からしい.
7月30日
ふと思い立って, 学部生のころ理解できなかった問題に手を出してみた.
通常2つに分けられる講義で別々に教えられる話が1つにまとまり, なか
なか面白い. 物理学的にも, 数学的にも.
今は変わっているのかも知れないが, 当時の学部教育は基礎を教えるので
精一杯で, その先の話が見えず, 「物理学」を学びたかった自分にはなか
なかの苦行であった. 応用方面の面白さは大学院で味わうことができたが,
基礎を学ぶ面白さは, 教員になって初めて味わっているのかも知れない.
最近は, この基礎に目を向けた良い教科書が増えているように思うが,
それを味わうには, 考えるための「足腰」が鍛えられていないと難しい
のもまた事実. プログラミングなどは, 自分の頭で考える習慣を身に
つけるための良い題材になり得ると思うのだが, 世間的には何かを勘違い
しているようで気になってもいる. たとえば, LEGOのマインドストームは,
良い題材を与えていると思う一方, LabVIEWベースのプログラミングは
教育的に間違っているように私は思う. 「そこを入り口に」と考えている
のかも知れないが, Digital Nativeの人たちが, UIの裏側に無関心なのは
よく知られた経験的事実であるように思う.
プログラミングの小問題を詰将棋や死活のような形で芦ヶ原伸之さんの
ような方が1冊の本にまとめてくれると嬉しいのだけど...
7月23日
これまでの人生で, おそらくは一般的な人よりも多くの昆虫を
見てきたと思うけど, 今朝, 通勤途中で見かけたヤツは, かつて
なくグロテスクな容姿をしていた.
シャチホコガ(コトバンク)
上のリンクはほぼ文字だけなのでご安心を. これから画像検索を
しようとする人は心して検索して欲しい.
グロいのは成虫ではなく幼虫の方. 大きさは10cmから15cmほど
だっただろうか. パッと見, 枯葉に擬態したイモムシといった
外見なのだが, 体の前方(中胸部と後胸部)の肢が成虫なみに発達
していて「見てはいけないものを見てしまった」感が異常に強い.
大きな頭と発達した肢は孫太郎虫(ヘビトンボの幼虫)に似てなくは
ないが, 孫太郎虫の方は「コレはそういう生き物なんだ」と納得
できる. 一方, シャチホコガの幼虫の方は,
「いや, これはちょっとマズイでしょう」
といった佇まい. 怖いもの見たさで見たくなっても, 少なくとも
寝る前は思いとどまった方がいい. 絶対, 夢に見ますから.
7月20日
岡部先生とここに書ける話, ここに書けない話などをする.
ここに書ける話のうちの一つはこれ.
EURAXESS Science Slam Japan 2015
東京都市大学のオーストラリアプログラムの話なども聞く.
東京都市大学の設置者って五島育英会なのか.
恥ずかしながら, 今日初めて知りました.
7月8日
デマゴーグ(独: Demagog)は、古代ギリシアの扇動的民衆指導者のこと。(ウィキペディアより)
別に今のギリシャを批判しているのではなくて, 単にこの単語を連想した
というだけの話. ただ, 一人ひとりが真剣に悩み考え, 決断を下したか?
というと, 周りの雰囲気に流された人も多くいたのではないか, とも
考えている.
最近, こんな論文も読んだ.
M. A. Moore and H. G. Katzgraber,
"Dealing with correlated choices: How a spin-glass model can
help political parties select their policies",
Phys. Rev. E 90, 042117 (2014).
選挙に勝つための政策はどうすれば決められるかをIsingスピングラス模型
を用いて論じた話. 著者たちによる皮肉なのかも知れないが, 政策って
そうやって決められるものなんだ, と鼻白む思いがしたのも事実.
Ising模型といえば, 最近やっとイジング本が出版された.
相転移と臨界現象の数理
いま読んでいる本があるので, それが終わったら読みはじめようかな,
と思っている. ザッと目を通した感じだと, 思いの外, 平易に書かれて
いる印象. それと2次元Ising模型は外したかぁ, というのも正直な感想.
2次元Ising模型は「おたくの楽園」. いろんな遊具がそこかしこに散乱
していて, 気がつくと日が暮れているという, 統計物理をやっている人の
肉と骨を溶かす「あぶない楽園」である.
「あぶない」から外したのか, とっ散らかった遊具をまとめるのが面倒だった
のか, 理由はわからないけど, ないものは仕方がない. 興味を持った人たち
は, 自らの足で楽園へ出向いていくことになるのだろう.
いま読んでいる本はコレ
生物ミステリーシリーズ --- ジュラ紀の生物 ---
エディアカラ紀・カンブリア紀の生物から始まって6作目. たぶん,
今日明日中にでも読み終わりそうだ. なぜいま読んでいる本について
言及したかというと, 理由はコレ
生命大躍進(国立科学博物館)
「みどころ」にも書いてあるのだけど, 代表的な化石がかつてない規模で
集結している. 人ごみが嫌いなので, こういう芋洗いになるようなイベントは
極力避けるのだけど, 今回は人ごみを我慢してでも行くかどうか, 迷っている
ところ.
7月3日
最近, 「わかりにくく教える」ことについて話す機会が何度かあったのだが,
「わかりやすく教える」ほうが大事というこという「先入観」にはなかなか
打ち勝てず, 特にここ数週間の間, 何度かもどかしい思いを経験した.
「わかりにくく教える」ことの重要性を私に気付かせてくれたひとつの大きな
要素として, 開米瑞浩さんがITmediaで連載していた
新入社員がやってくるーー専門知識を教える技術:
というのがある. バックナンバーが整理されていないので, 以下にリストにして
リンクを貼っておく.
第1回から第10回, 第11回, 第12回, 第13回, 第14回, 第15回, 第16回から第20回
高校の担任の先生が, 「人の太刀」という名で学級新聞のコラムを書いていたけど,
まさしくそれ. 自分の力で他人を説得できなかったので, 「人の太刀」を借りるという,
あまり格好良くないことをしているわけですが, 戦意喪失よりは良いかな...ということです.
6月30日
神奈川県温泉地学研究所が提供している箱根山の過去30日と過去24時間の
震源分布を見ると, ここ最近の震源は東の浅い場所へと移動しているのが
わかる. この浅い場所での地震は時間単位でどんどん増えているようだ. しかも,
過去30日の地震分布の多いところからの分岐が時々刻々と明瞭に見える
ようになってきている. マグマが新しい経路を見つけ, どんどん上に
登ってきているのではないと良いのだけれど...
6月24日
甕と微生物. 無関係ではない気がしてきたので, もう少し
調べてみた.
鹿児島県奄美大島 富田酒造場
姓が同じなのは偶々です. それはともかく, 「甕つき酵母」
というものがあって, 甕ごとの個性が出るとのこと.
お酒とは少し違うけど,
木桶のお手入れについて(マルカワみそ)
味噌樽に菌が住み着き, 住み着いた菌が味を作るとのこと.
木桶についてはこんな記事も,
木桶と日本人(無印良品)
というわけで, 甕で仕込めば, その甕の履歴を反映したものが
出てくることになるのだろう. 石川酒造場が, 廃業する酒屋に
行って甕を分けてもらっていたのは, 安く仕入れるという理由の
他に, 「甕つき酵母」も買っていたと見るのは深読みし過ぎ
だろうか. 「甕つき酵母」の質は甕の使用年数や環境に深く
関わるだろうから, 良い酒屋から甕を買い受けるというのは,
その酒屋の酒造史も引き継げるような気がするのだが.
6月23日
20日の懇親会でいただいた泡盛が大変に美味しかった.
石川酒造場 甕仕込10年 43度
石川酒造場 沈黙 21年 42度
酒造場の直売所にまで足を伸ばしていただいた安田さん(お酒は飲まれない)
に感謝. 甕貯蔵にこだわっているということで, みんなで「なんでだろう」
と話していたときに, 私は「甕に棲んでいる微生物が大事なんじゃない」
なんて適当なことを言ったけど, 空気に触れるのと甕のミネラルが大事
なんだそう.
泡盛百科 -甕選び-
沈黙21年は, 古いだけあって, ヴィンテージワインなどでも感じられる
独特な煙りっぽい, いわゆる「古い」香りがあって, 大丈夫かなと2口目
を口に運ぶと, 煙りっぽさがまったく感じられなくなる不思議な飲み物
だった. 私だけでなく, 他の人の感想も同じだったので, たぶん, そういう
1回限りの生理的な反応が鼻か舌に起きたのだろう.
伊東では大変に楽しく過ごしたのだが, 楽しすぎて心配だったのは月曜
から始まる仕事. どうやって一週間を乗り越えるかと話していると,
安田さんは23日は休日とのこと.
慰霊の日
1998年の秋季大会では, 玉泉洞の前で客待ちをしていたタクシーの
運転手さんと話をしていると, なかば強引に摩文仁の丘に連れて行か
れたのであった.
あれから70年. 平和を祈念する気持ちに変わりはないだろうか...
6月21日
高山先生から
スピン模型で記述できる世界は世界全体のほんの一部.
理論的な模型だけでなく, 実験にも目を向けるようにしよう.
という内容のコメントをいただく.
様々な問題が細分化され, 枝葉末節の構造を明らかにする
匠の世界が華やかなに繰り広げられる昨今ではあるが, より
力強い理論の構築には, 現実世界から乖離した統計物理学の
おたくな研究より, 統計物理学の本流に転がる誰の目も引か
ない地味な原石の方が重要だったりする.
研究のモチベーションは, たのしいか, たのしくないか,
で十分だし, budgetが取れる取れないというもの大事な
要素だったりする. しかし, 人生の多くの時間を研究に
費やし, また, 限りある時間の中で研究を完遂させるので
あるならば, 統計物理学の空間軸, 時間軸のなかで, 自分の
仕事がどう位置づけられるのか, そんなことを考えて研究
するのも大事なことなのだなと改めて考えた次第である.
6月20日
伊東で「うずわ」というものを食べる.
お店の人に「うずわ」のことを尋ねても, 「魚の名前」という
答えしか返ってこない. 調べてみると, ソウダガツオのこと
らしい. 宗田節にする, あのソウダガツオのことだ.
宗田節から想像がつくように, なかなか味のある魚であるが,
宗田節によくあるクセのようなものは感じられない. 青魚好き
であれば, 10人中10人が好きというような旨さである.
なぜこんなに美味しいものがメジャーになっていないのか.
ウィキペディアによると,
血合いが多いため一般的な味の評価はカツオより低い。
また痛みも早いので鮮魚での流通は限られる。
痛みが早いから出回っていないのか. なるほど納得である.
ネットには「サバより足が早い」なんて記述もあるようだ.
なぜ血合いが多いと評価が低いのか. これまた調べてみると,
生臭いのが理由らしい. 血合いの臭い魚は鮮度が落ちている
からだと思うのだけど, 新鮮な魚でも血合いは臭いと感じる
人は多いのだろうか.
6月11日
健康診断が昼前に終わったので, 病院から島町近傍を探索.
この辺は普段利用していないことに加え, 区画整理が進んで
いないことから, 何処がどうつながっているか, まったく
理解していない地域なのである.
島町は, ここ数年で培ってきた土地鑑の空白地帯であるが,
空白のまわりには筋道がついており, 勘ははたらくのである.
(土地鑑がないから, 勘がはたらくのである. 言葉大事.)
狙った通り 知らない土地でのショートカット成功.
成功したから言うのだが, こういうのは研究活動によく
似ている. 知っていることと知らないことを明確にして,
知らない場所に大事な何かが眠っていないか, 当たりを
つけて, 探索に出かける.
ネットに頼って道を調べるのは楽ではあるが, 知らない道に
迷う愉しみを忘れてはならない, などと言って, どんどん
ジジ臭くなっていくのだろうか
5月30日
大学から東大宮駅に向かう途中で地面の揺れを感じる.
それから一瞬間を置いて, 周りの家と電信柱が激しく
揺れ始めた. 柏で体験した東日本大震災の揺れより,
ひとまわり弱いようだが, 家の外壁が剥がれて頭上に
落ちてきても不思議はないくらいの揺れ. 路の真ん中
に移動して, 地震がおさまるまで周囲に警戒してやり
すごす.
電話は使えなかったが, メールはなんとか使うことが
できた. しかし, 後で確認すると, 同じ内容のメール
が何度も送信されていたようだ. サーバー側でのメール
処理が追いついていなかったことが推測される.
電車 ⇒ 徒歩 ⇒ 電車と乗り継いで帰宅.
いつもより多くの徒歩帰宅者とタクシーで, 路上には非日常が
あふれていた一方で, 道路脇の居酒屋はいつもよりやや繁盛した
賑わいを見せていたのが少し不思議な光景だった.
5月27日
なんでも使い慣れたものの方が良く感じるものだが,
羽衣チョークの代替品は総じて評判が悪いようだ.
腰というか粘りというか, 羽衣チョークは, チョークを
黒板に押しつけて字を書くときの, チョークの「粘液」が
黒板にヌルヌルと乗っていく感じがあったのだが, 代替品の
チョークは硬くて, ときおり, 黒板を引っ掻く音さえ出る
始末である. (私の筆圧が高いことが主な理由ではあるのだが。。。)
どのメーカーも良い物を作ろうとがんばっているに
相違ないだろうが, チョークはやはり羽衣のものが
よかったなあと思う次第である.
5月25日
3限終了間際に大きな地震が...
「あ, 地震だ...結構大きいなあ」と揺れを地震と認識したころに,
学生の携帯から一斉に警報が鳴り出した.
強い揺れがさらに強くなるのかと思い, 緊張したけど, 警報より
さきに地震が来ただけだった.
最近, 箱根山, 浅間山が活発だったりしているので, いろんな
可能性を想定して講義は中断. 3限と4限は実質的に連続の講義
なので, 中断した講義の続きは4限に行った.
5月23日
散歩中にまたもやGoogleストリートビュー撮影車と遭遇.
前に遭遇したのが去年の2月20日なので1年3カ月ぶりか.
今回は, 道端に停車して休憩をしているところだったので,
撮影されていることはないだろう.
夜は「岡部先生を囲む会」に参加.
たくさんの「久しぶり」を堪能した.
特に宮島君に会うのは修士課程卒業以来だろうか.
元気そうだし, なにより仕事が楽しそうだ. 今度の物理学
実験の外部講師として来ていただくのも良いかも知れない.
寿朗君も元気でやっているだろうか. ここを見ている可能性は
低いだろうが, もし見ていたらメールでも下さい.
(スパムを警戒して私のメアドはWEB上で公開していませんが...)
小村さんとはGPU向けクラスターアルゴリズムの新しい話を
少しする. 私は, GPUを効率的に使うための鍵の1つは
「富豪的プログラミング」である, と思っており, 小村さん
と岡部先生が提案しているGPU向けクラスターアルゴリズムは,
富豪的プログラミングの良い一例だと考えているのだが, 今回の
小村さんの話は, 「富豪的」だったアルゴリズムの無駄遣いを
抑えることでパフォーマンスを出す, というお話である.
そりゃ, ばら撒く必要の無いお金を必要なところへ回せれば,
パフォーマンスが良くなるのは当たり前なんだけど, GPUの
場合, お金を上手に分配するのが難しい. だから「富豪的
ばら撒きでいいじゃない」と考えていたのだけど, 効率のよい
お金の分配方法が見つかったようだ.
(お金の分配方法というよりは, 自分でできることはできる
ところまでやってもらう, と言うべきか?なんにしても,
富豪的ではない発想による高速化である)
今回の進展は, 私にとってはとても教訓的な話に感じられる.
技術革新で「富豪」になったら「お金」をばら撒いて贅沢する
方法を考えるべきだと思っていたが, 贅沢して豊かになれたら,
次は節約に向かう技術改革を考えるべきなのである.
自分で新しいアルゴリズムを考えるとき, まず無限の計算資源を
仮定してアルゴリズムを組み立て, それから現実と折り合うように
工夫をしていくのだが, 最近は贅沢に慣れて, 工夫する気持ちが
おろそかになっていたようだ.
佐宗先生とも久しぶりにお会いした. ちゃんとお話しをしたのは,
学生時代に集中講義を受けたとき以来ではないだろうか.
2〜3年前の散歩中に「佐宗」と表札の出ている家があり,
そういえば昔, 佐宗先生が全国の佐宗さんを探しておられたなあ,
と思い出していたら, そのお宅から佐宗先生そっくりな人が出て
こられたので, つい条件反射的に挨拶をしたことがあった.
あまりにも予期しないことが起きたので, それが夢だったのか,
たまたま佐宗先生にそっくりな方を見かけたのか, よくわからない
ままでいたのだが, 「囲む会」で佐宗先生から上の出来事について
話を振っていただいて, それが現実の出来事であったことだと確認
できた. 白昼夢でも見ていたのではなかったのかと気にかかって
いたことなので, 現実に起きたことだと知ってとても安心した.
スピーチでその場にいなかったI先生とWさんの名前を勝手に
出してしまった. I先生はともかく, Wさんの耳にはそのうち
届くような気がしている, というか, もう届いている気がする...
怒られるようなことは言ってないと思うけど, 変なことは
言ったので今のうちに謝っておこう.
どうも, すみませんでした ⇒ I先生, Wさん
5月17日
法事の席で, 僧侶と住職の意味, 通信教育で僧侶となり自分の寺を
持っていない人の話や, ぶっちゃけ寺のぶっちゃけ話など, いろいろと
有難いお話を伺う.
和尚さんの話から得た教訓は,
『「専門家」としてテレビに出ている人には気をつけろ』
ということかな. どこにでも似たような話はあるものだ.
5月11日
とうとう大学の羽衣チョークの在庫が尽きたらしい.
手持ちのチョークケースに収まっているのチョークが切れたら,
新しいチョークを使うことになる.
記憶をたどっていくと, 私の小学生時代からずっと, チョークは
羽衣であった. 生まれてからこのかた定番となっていた商品が
他社の商品に置き換わるという経験は, これが初めてなのかも
しれない.
4月22日
朝の宇都宮線内で, 隣にいた男女の会話が耳に入ってきた.
大学入学を機に上京?してきた男子学生と女子学生らしい.
男「大宮ってサッカーチームがあるの知ってる?」
女「えっ、そうなの、知らない」
男「大宮グランパスっていうチームがあって...(以下略)」
私のこころの中のギター侍が激しくギターを掻き鳴らす.
その一方で, 「四月って,,, そういう季節だよね」と,
必死で自分を和まそうとするもうひとりの自分がいたりもする.
男「じゃあ、野球は?」
女「私、野球も詳しくないのよね」
男「じゃあ、読売球場って行ったことない?」
東京ドームのことかなぁ, と思ったけど, 読売ジャイアンツ球場は
存在する. 今日のように天気が良ければ, 今週末は「読売球場」で
デートもいいかもしれない. 今週末は伝統の巨人阪神戦(ただし
ファーム)だが, 東京ドームと読売球場でお互いを待つふたりを想像
して, またひとり勝手に和むのである.
4月20日
S社のKさんとL社のHさん来訪.
最近の技術動向などをお聞きする.
やはり第一線にいないと, 日に日に情報に疎くなるのだなぁ.
AMD FireProがGreen 500の1位を獲得していることを
聞く. GSI Helmholtz CenterでGPUをどのように利用
するのだろう. 重イオン加速器が吐きだすデータって並列
処理できるのかな.
4月15日
一週間前は季節はずれの雪で, 今日は春雷.
来週は夏日で, 再来週には木枯らしが吹くかも.
4月14日
前職で大変お世話になった某社SEの廣瀬さんがわざわざ
大宮まで転職の挨拶に来られた.
講義から居室に戻ると, 居室入り口のベンチに腰掛けて
パソコンを叩いている大きな学生に, なんとなく見覚え
があると一瞬感じたのだが, その一瞬の後, 学生では
なく廣瀬さんだと認識した.
転職されると言っても, 職種は変わらないとのこと.
神戸で仕事をされるとのことなので, もしかしたら
黒田さんや小村さんとも仕事をすることになるのかも.
4月8日
さいたまは朝から雪. 芝生や車の上など, 雪の積もりやすい
場所にはしっかりと雪が積もっていた.
5年前の4月17日も雪が降ったとのことだが, 日誌を見ると
天気については何も言及されず, ただメールを書き送った記録
とキュー設定のメモが見つかった. WさんとKさんも, いまごろ
最適なキュー設定について頭を悩ませているのかな.
10年ひと昔と言うけれど, 5年でも十分昔に感じられる.
4月2日
古典理想気体のエントロピーとGibbs paradoxについて納得できる
説明がなかったので自分でノートを作ってみました.
古典理想気体を構成する全ての粒子を識別したときのエントロピーについて
ノートを作って自分では納得できたのですが, 何か思い違いをしている
かも知れません. このページを読んでいて, 私のメールアドレスを
知っている人(そんな人いるのだろうか。。。)は感想をお聞かせ下さい.
4月1日
今日のFD・SD講演会でシステム理工の木村先生がLewin先生による
OpenCourseWareを勧められていたので視聴しようと検索すると,
こんな記事がヒットした. いろんな意味で残念である.
3月26日
23日(学会期間中)に停電があったらしく, 状況を調べてみた.
東京電力 停電情報
前回(昨年12月22日)同様, 大宮キャンパスの周りでの停電は
なかったことになっているらしい.
それより気になるのは停電件数の圧倒的増加.
これまで情報が上がっていなかったのか, それとも実際に
停電が増えたのかは分からないが, もし後者だとすると,
予期せぬ停電はこれから増加する可能性が高い.
3月20日
「海苔を消化できるのは世界で日本人だけで, それは日本人が
昔から海藻を食べてきたから」という内容の記事を読んだ.
しかし, 海苔を消化するのは腸内細菌であり, 親から子へ腸内細菌
が遺伝するとは考えにくい. 胎児の腸内はほぼ無菌状態だから,
もし親から子へ腸内細菌が遺伝すると仮定すると, 出生後, 人は
自身の遺伝子を使って腸内で細菌を産んでいることになり, この
シナリオが真実だとすると, これはちょっとしたホラーである.
それで調べてみると, やはりそんなことはないらしく安心した.
Heidi Ledford, "A genetic gift for sushi eaters"
日本語版「海藻に隠された遺伝子の贈り物」(引用文献の抜けあり)
元の論文
Jan-Hendrik Hehemann, et al.,
"Transfer of carbohydrate-active enzymes from marine bacteria
to Japanese gut microbiota",
Nature 464, 908 (2010).
さて, 腸内細菌"Bacteroides plebeius"が昔の日本人の
胃の中で海藻を分解する能力を身につけた「らしい」ことは
いいとして, なぜこの細菌を保有しているのが日本人(日系人)
だけなのか, また, どうやって腸内に取り込まれるのかという
疑問がまだ残っているのだが, それはまた今度調べることにしよう.
3月17日
岡部先生の最終講義を聴きにいく.
博士号取得のために提出した論文の共著者がいずれも
物性研所長となっている話, 科研費の研究項目キーワード
の話など, これまで知らなかった話をいろいろと聴かせて
いただいた.
金田さんとお会いするのは何年ぶりだろうか.
かなり久しぶりなのは間違いないはずだが,
髪がいくらか白くなっていた以外は, 外見が全く
変わっていないのはなぜだろう.
小村さんからGPU上のクラスターアルゴリズムが
2倍ほど速くなったという話を聞く. Kalentevの
ラベル付けで必要だったイテレーションが必要なく
なったらしい. どうすればそんなことができるのか,
論文になるのが楽しみである.
他にも, スピングラスの話とか, ポスト京の話とか
KさんがM研の助教になった話とか, 書ききれない
ほどの話をして帰ってきた.
3月16日
3月14日のダイヤ改正に伴い, いつも利用している
時間帯の電車がごっそりと消えていた. 東京上野ライン
の開業で便利になる人もいれば, 一方で不便になる人も
いるということか.
3月4日
朝, 東大宮駅から大学に向かう途中, 飼い主と散歩をしている
犬(ボーダー・コリー)と目が合った. まっすぐにこちらを見ている
ので, こちらも犬の方を見ていると, すれ違う直前, 犬がこちら
に向かって会釈した. 白戸家のお父さんの話は架空の話だと思って
いたけど, 人並みに挨拶をする犬はいるようだ.
3月2日
日立から新型半導体コンピュータのニュースが発表された.
D-Waveと見られる量子コンピュータを意識した報道から
室温でD-Wave相当の計算を行える計算機を開発したのだと
早合点したのだが, 実はそうではないらしい.
福田昭のセミコン業界最前線
"量子コンピュータに匹敵する日立の新型半導体コンピュータ"の正体
一番の肝は, 上の記事や日立のニュースリリースにもある記述通り, 量子
コンピュータでは量子ゆらぎを利用したアニーリングで最適解を(近似的に)
求めるのに対し, 今回の半導体コンピュータでは「CMOSアニーリング」と
いうよくわからない方法で求めているところ.
例えば, D-Waveの人たちが出した論文
M. W. Johnson et al., Nature 473, 194-198 (2011).
に依ると, 計算性能は10mKオーダーで変化するのが見て取れる.
非常に低温に冷やす必要があることはD-Waveの大きな欠点であるの
だけれども, 逆に言うと, 量子ゆらぎを利用するためにはこのくらい
冷やさないといけないということでもある.
日立の新型半導体コンピュータは室温で動作するということを宣伝して
いるのだけど, それは量子ゆらぎではなく「CMOSアニーリング」を
使っているのだから当たり前と言えば当たり前.
ここで百歩譲って, では室温で動作する「CMOSアニーリング」が
量子アニーリングより優れていれば良いではないかと思うのだけど,
残念ながらその証拠が提示されていない.
例えば,
S. Boixo, et al., Nature Phys. 10, 218-224 (2014).
では, D-Wave, 量子アニーリング, シミュレーテッド(古典)アニーリング,
古典スピンシミュレーションの4つの方法で性能を比較しているのだが,
日立のニュースリリースおよびPC Watchの記事で紹介されているISSCC2015
でのプレゼン資料にそういった真摯な姿勢が見られないのは残念に思う.
今のところ情報が限定的なので, もしかしたら本当に, いわゆる量子
コンピュータを凌駕する新しいコンピュータができたのかも知れない
けれど, 現状のところはmisleadingな困ったニュースリリースだなぁ
というのが私の正直な感想だ. 続報でこの感想が覆ることを期待したい.
2月27日
画期的なデバイスが開発されたらしい.
その名も"D free"
"free"という英単語には「自由にする」「解放する」という
意味の他に「〜が含まれていない」「〜を除いた」という意味
がある. デバイスの命名に対する説明が無いので推測でしかないが,
この場合は"duty-free"とか"tax-free"の意味かなぁと思っている.
"D"のことは「心配御無用(by 竹中直人)」という訳だ.
鈍い人のために一応説明しておくと, ここで言っている"D"とは
日本語で言えば"Dai", 英語で言えば"Diarrhea"の頭文字で,
しげの秀一による漫画「頭文字D」とはたぶん関係ない.
2月24日
昨日, 尾関先生や福島さんからいろいろと良い話を聞けたので
今取り組んでいる問題に使えないか考えてみる.
たぶん使えるような気がしているのだが, いまひとつ見えてこない.
いろいろなことの理解は深まったが, 収穫物はゼロの状態.
ここ最近, 収穫ゼロの日が続いているので, なんとかして
現状を打開したい.
2月14日
kinetic sandをプレゼントされたので遊んでみる.
www.kineticsand.com.au
実は, WBSで紹介されてから気になっていた商品である.
【トレたま】絵が出る砂場(2014年9月15日)
トレたまで紹介されているのはkinetic sandそのものではなく,
「え〜でる すなば」というkinetic sandとプロジェクション
マッピングを合わせたセガの商品である.
当然, 自宅にはそんなものは無いので, ただの粘土代わりの砂
として遊ぶ. kinetic sandのホームページにある説明によれば,
98%は砂で残りの2%は"magic"でできているという, バファ〇ンを
彷彿とさせる説明がなされている. その2%の"magic"がただの
砂を商品たらしめている訳であるが, これがなかなか興味深い.
kinetic sandの構成要素である砂と砂の間に弱い接着力が働いて
いて, 押し固めれば堅くなり, 潰せばホロホロと崩れていく.
接着力の強さが微妙で, 粉体でもなければ, 流体でもなく, これまで
経験したことのない感触になっている.
大人が夢中になって遊ぶにはもう一つ二つ仕掛けが必要だが,
kinetic sandの動力学には, もしかしたら「大人」を夢中に
させるものを含んでいるかも知れない.
1月24日
ミシュランで紹介された日本料理店でフグの食中毒を出したらしい.
記事を一部抜粋すると,
> フグの肝臓は食品衛生法で提供が禁じられているが、同店は
> 常連客に出すことがあったという。
よく知られていることではあるけれど, 料理店でのフグの食中毒が
調理ミスであることはほとんどなく, 提供した量が許容量を超えて
事件になることがほとんどである.
私の曽祖父もフグの肝で一杯やるのが好きだったらしく, 聞くとこ
ろによると, 舌にビリッとくるのを日本酒で洗い流すのがたまらなく
良いらしい. そんな曽祖父もある日, 許容量を超えて摂取し, 帰らぬ
人となってしまった.
そこで, 気になっているのは無毒化された肝の味. 先日, NHKの
新日本風土記に野口先生という方が無毒化されたフグの紹介をされて
いたので, 少し調べてみた.
伝統食「フグ肝」の安全・安心な提供
面白いのは次の記述,
> 無毒化したものは、毒が無いので咬み合いをします。毒にはフグに
> 対して鎮静作用があり、毒がないとストレスを解消できません。
もしかしたら人間にも当てはまる可能性があるのではないだろうか.
フグ毒を摂取すると意識的にせよ無意識的にせよ落ち着くのであれば,
リピートして食べる可能性が高まるのではないのかと思う.
(毒の摂取を勧めている訳ではありません)
無毒化したフグの肝が「ビリッ」とするという記述は見当たらないので,
きっと, 無毒化したフグ肝は「ビリッ」としないのだろう.
であれば, 「食通」は相も変わらず天然フグ肝を珍重し, 事故は絶え
ないと予測がつく. かく言う私も興味はそそられているのであるが,
命を賭してまで食べる気にはなれないでいる. 卵巣の糠漬け・粕漬けで
我慢しておこう.
1月14日
豊洲駅の案内板に
啦啦宝都
の表示を見つける. 一見して, 「ららぽーと」かな,
と思ったが, ピンインに直すと
la la băo dū
となって, 微妙な感じ. 気になったので調べてみると,
「ららぽーと」の中国語表記は「啦啦宝都」でいいらしい.
(公式ホームページ)
日本人が音読みで漢字を当ててしまったようにも見えるけど,
実際のところはどうなんだろう.
昔, 台湾でマクドナルドのことを「麥當勞(mài dāng lào)」
って言っても誰も聞き取ってくれなかった(私の発音が悪かった
のもあると思う)ことを考えると, どんな漢字を当てたかは
どうでもいいことなのかも知れない.
1月12日
Yahooニュースで取り上げられていた論文を読んでみる.
M. Bowing, N. Burch, M. Johanson, and S. Tammelin:
"Heads-up limit hold’em poker is solved",
Science 347, 145-149 (2015).
紹介記事
Emily Conover:
"Texas Hold'em poker solved by computer"
専門的な細かい話はほとんどなく解説記事に近い. 計算機同士で
学習させたようなので, 人間側が最善手を想定した戦略をとった
場合でも, 計算機が勝てるのか気になったが, 論文の著者らが
"weakly solved"と言っているのは,
> We call a game essentially weakly solved if an ε-Nash equilibrium
> is computed for a sufficiently small ε to be statistically indis-
> tinguishable from zero in a human lifetime of played games.
とのことなので, 計算機が最善手を取ることを逆手に取って人間が
勝つことはできないらしい. 考えてみれば, Heads-up limit hold'em
pokerの場合, カードの情報が最も得られているときでも, 自分の
手札2枚と場のカード4枚の合計6枚. 何かを画策してゲームを有利に
しようとしても確率の要素が大きすぎて, 狙い通りにゲームを運ぶ
のは難しそうだ. そういう意味では, 今回「解かれた」問題は,
学習を要するアルゴリズム側に非常に有利な問題であると言える.
逆に, 確率的要素が小さく自明でないimperfect-information game
(得られない情報を含むゲーム)として麻雀を解かせることは難しいこと
なのだろうか. トランプのカードは全部で52枚なのに対し, 麻雀牌は
全部で136枚, 問題の難しさは単純には構成要素の指数関数で増えるから,
麻雀の方が圧倒的に難しい(特に序盤)と言える.
またプレイヤーの数が4人に増えるので, それも問題の難しさを増す要因
となるだろう. 対戦相手がグルになって, 鳴かせたり, 上がらせたり,
という戦略もなくは無い.
イカサマはとりあえず置いておいて, 計算機にとって序盤が難しいという
状況は, 終盤では計算機有利に逆転する. 残りの牌や河に出た牌から危険牌
の推定や, 山に残っている牌を数えるのは人間を凌駕すると思われる.
であれば, 鷲巣麻雀を計算機に解かせてはどうだろう. 鷲巣麻雀では
同種牌は4枚のうち3枚はガラスで透明. 不透明な牌の数は34枚なので,
トランプのカードより少ない. ただ通常では山に積む牌は, 穴に入れて
見えないようにするので, やはり依然として難しい問題なのかも知れないが,
「麻雀を解く」手始めの問題として, 非常に興味深く, また計算機に適して
いるように思われる.
1月8日
「左翼」と「右翼」という言葉が何を指し示しているのか.
「左翼」と「右翼」は対義語なのか. 最近, よく分からなく
なってきたのでWikipediaに聞いてみた.
> 「左翼」も「右翼」も相対的な用語であり、何を「左翼」や
> 「右翼」と呼ぶかは時代・国・視点などによって変化する。
なるほど, 左翼・右翼という言葉に頭が混乱していたのは,
それぞれの言葉が定義する対象が存在すると思い込んでいた
からで, 適当に定めたある一点から見た相対的な方向を表す
言葉だと理解すると, 混乱していた理由に合点がいく.
しかし, そう理解して左翼や右翼という言葉を使っている人が
どれくらいいるのだろうか. 私の混乱は本を正せば, それぞれ
の著者が自分の立ち位置を明らかにせずに左翼・右翼という言葉
を使い, それぞれの著者で「左翼」「右翼」という言葉の対象が
変化していたからである.
これと似た経験を思い出す. 子供のころ, 「極東」がなぜ「東」
なのか, 疑問に思っていた時期があった. ヨーロッパが植民地
を広げているときに, 「東」に向かって広げていったので, その
東の極みが「極東」であると理解したときには「なんだかなあ」
という感想を抱いたが, 日本も「日出ずる処の天子、書を日没する
処の天子に致す」なんていう国書を送ったり, そもそも国名が
「日の本」だったりする. 自分の立ち位置を物事の中心と考えて
しまうのは, 古今東西で共通する人間の癖のようなものなのだろう.
1月5日
〇〇研主催のセミナーに参加. 〇〇先生による場の理論の話.
場をひねって, その応答を見るのだが, 興味のある長波長領域
は積分が発散するので, どうやって見たら良いか, という質問
を〇〇先生から名指しで振られる. 「くりこんで発散の様子を
見ればよい」と答えると「だから数値計算の人はセンスがない」
という内容のことを言われた. 場のひねり方が特殊だったので,
従来的なくりこみ群の方法を経ずに, 興味ある領域を見る手法
があるのかも知れない.
2014年に読んだ論文のいくつかが脳裏に浮かぶ. いずれもbreak
throughの一歩手前の論文. 2015年はなんらかの大きなbreak
throughがあるかもしれない, そんな期待をさせる初夢だった.
雑記(2014年)